後村上天皇御陵  大楠公首塚

観 心 寺

高野山真言宗 遺跡本山

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大同3年(808)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。
これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内に残る(北斗七星を祭る寺は日本では観心寺が唯一である)。
境内にある建掛塔(重用文化財)は、一見、普通の仏堂のように見えるが、三重塔の一重目だけが建てられた、未完成の建築である。伝承によれば、楠木正成は、建武の中興の成功を祈願して三重塔の建立を発願したが、造営なかばで湊川の戦で討ち死にしたため、建築が中断され、そのままになっている。
討ち死にした正成の首は当寺に届けられ、首塚に祀られている。
 境内より 後村上天皇御陵(檜尾陵)へ 参拝できる。

境内の

後村上天皇の

行在所 

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檜尾陵 へ
 


 国宝 金堂    

      
重文 建掛堂

大 楠 公 銅 像

 大楠公 首塚  

新待賢門院の墓

  阿野 廉子 
 正安3年(1301年) - 正平14年/延文4年4月29日1359年5月26日))は鎌倉時代後期から南北朝時代の女性。後醍醐天皇の寵妃。南朝後村上天皇(義良親王)、恒良親王成良親王祥子内親王準子内親王の母。院号を新待賢門院といい、三位局とも呼ばれた。

(写真 2007 11 20 訪問撮影)