ー 帝国キネマ ー
☆訪問取材撮影-2009.01.11 天候:晴☆
所在地:アクセス
大阪府布施市(現東大阪市
近畿日本鉄道 小阪駅より 10分
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●小阪撮影所〜長瀬撮影所時代・略年表
大正6年(1917):「天然色活動写真株式会社」が小阪に撮影所を開所。
大正8年(1919):「天然色活動写真株式会社」が東京巣鴨に撮影所を開所。
大正8年(1919):「天然色活動写真株式会社」解散。
大正9年(1920):「帝国キネマ演芸株式会社」設立。「帝キネ小阪撮影所」が稼動
(1925年閉鎖)。
大正12年(1923):「帝キネ芦屋撮影所」が開所。
1925年「アシヤ映画制作所」所有になる。
大正14年(1925):「帝キネ巣鴨撮影所」が稼動。
昭和3年(1928):「帝キネ長瀬撮影所」が開所。
昭和5年(1930):「帝キネ長瀬撮影所」が失火により閉鎖。
昭和5年(1930):「松竹(坂妻プロ)太秦撮影所」を借受け、
「帝キネ太秦撮影所」が稼動。
昭和6年(1931):「帝国キネマ演芸梶v解散。「新興キネマ」に改組され引継がれる。
参考文献
実録日本映画史 帝キネ伝 佐々木勘一郎著 近代文芸社
山川吉太郎は(大正3年)5月に1914年〜1930年まで大阪ミナミ千日前にレジャーの殿堂。
大正時代の大阪を代表する娯楽センター「楽天地」を建設、一躍ハイカラな名所となる。
ミナミの興行師:山川吉太郎と 北浜の相場師:松井伊助と組んで
「帝国キネマ演芸株式会社」を大阪市南区日吉橋に設立した。社長は山川吉太郎
1923年芦屋市(兵庫県)の山手に 帝国キネマ撮影所を開設 後に
アカシヤ映画制作所として独立