関西:文学歴史講座

 - 「吉備大臣宮  & 囲碁&日時計発祥の地」 -

                ☆訪問撮影-2009.1.14 天候:晴☆         

吉備真備公の銅像です。
       高さは
6.45メートル。


      吉備真備(きびのまきび)公
、持統天皇9年(695年) - 宝亀6年10月2日(775年11月3日)、奈良時代の学者、政治家(公卿)。
     正二位・勲二等・右大臣。
吉備真備は22歳のときに遣唐留学生となり、
翌年の717年(養老元年)に入唐した。帰路では種子島に漂着するが、735年(天平7年)に多くの典籍を携えて帰国した。
 唐では儒学のほか、天文学や音楽、兵学などを学び、帰朝時には、経書(『唐礼』130巻)、天文暦書(『大衍暦経』1巻、『大衍暦立成』12巻)、日時計(測影鉄尺)、楽器(銅律管、鉄如方響、
写律管声12条)、音楽書(『楽書要録』10巻)、
弓(絃纏漆角弓、馬上飲水漆角弓、露面漆四節角弓各1張)、
矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)などを献上し、『東漢観記』を持ち来たらした。
  囲碁発祥之地記念碑より 転載
奈良時代の偉人正二位右大臣吉備真備公は二度にわたって万里の波涛を越え遣唐使として唐の都長安に渡航し国威の発揚に尽力され天平七年(七三五)帰国に際しては当時世界最高といわれた唐の最新の文化を数多く持って帰り、日本の政治、文化、軍制の発達に大きな功績を挙げました。
平安時代後期に書かれた江談抄には吉備公が在唐中、唐の囲碁名人と対局し、知恵をもって勝った説話があり、これが日本の著作に現れる囲碁に関する最初の説話であるところから、吉備真備公が、日本における囲碁の開祖として伝えられ、その後の各種辞典、又著作に現われております。
 故に吉備真備公は日本における囲碁の開祖であり、その居館跡を囲碁発祥の地として、吉備真備公の遺徳を顕彰するためにここに記念碑を建立したものでありま
吉備大臣宮の 遠景

 学問の神様として 

 天神様(菅原道真公)と

共に 崇敬されている。


亡くなった地、奈良市の
奈良教育大学の構内には
真備の墓と伝えられる
『吉備塚(吉備塚古墳)』がある
所在地:アクセス
  岡山県小田郡矢掛町東三成
  井原鉄道の三谷駅より1.8km東にあります。
      徒歩約20分です。
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                         ○参考文献○
吉備真備