- 「勝 龍 寺 城 跡」 -
☆訪問撮影-2007.6.13 天候:晴☆
歴 史 と ロ マ ン の 城
この城は、暦応2年(1339)に細川頼春が
京都へ進出してくる南朝方に対抗するため、
北朝(足利尊氏)方の前線基地として築いた
といわれ、京都盆地の南西部を防衛する
要所にありました。
永録11年(1568)に織田信長が上洛し西岡一帯
を攻略し、細川藤孝(のちの幽斎)に城が与えられ
堅固な城に改修しました。天正10年(1582)の
山崎合戦では光秀が本拠としたが、落城しました。
ところで、この城は天正6年(1578)に光秀の娘
玉(のちの細川ガラシャ)が16才で長男忠興の
もとに輿人れしたところで、
歴史とロマンを秘めた城として全国的に知られ
ています。
城の中心部は本丸と沼田丸に分かれ、
外郭施設には城の北側を守るための土塁跡や
空堀跡が神足神社周辺に今も残されています。
所在地:アクセス
堀 に 囲まれた 勝 龍 寺 城 は 復元されて 公開されて います。
復 元 想 定 図