- 「飛雲閣と書院と能舞台」
京都市下京区堀川通花屋町下ル
JR 京都駅より 徒歩15分
☆訪問撮影-2007.12.12 天候:晴☆
西 本 願 寺
金閣:銀閣:飛雲閣(国宝)と説明された。 書院と能舞台は撮影禁止です。
書院の 鴻の間(対面所)は203畳敷で 南能舞台に面している。白書院は3室にわかれ北能舞
台にめんしている 虎渓の庭は 御影堂の大屋根を廬山にもした 池泉枯山水式の 国特別名勝である
唐 門
飛 雲 閣
書 院 (外 観)
親鸞の死去(1262年)後に、廟堂を中心にひっそりと始まった教団は、北陸や京都・山科、今の大阪などに拠点を移しつつ、 戦国時代に急速に発展する。16世紀後半の大阪では、朝廷や公家とかかわりが深い門跡寺院に列せられ、その後、織田信長と激戦を繰り広げた歴史もある。
をめぐる紛争収拾のため、1602年、徳川家康が別の境内地を寄進している。これが東本願寺の始まりだ。 伽藍や書院は江戸時代(17〜19世紀)に、火災からの復興や親鸞の大遠忌事業として何度か再建や改築が繰り返された。
その度に、壁や天井、ふすま、欄間などを狩野派や円山派、四条派など京の絵師が彩っている。
動乱から江戸期の太平へという時代の節目に、西本願寺は武力を捨て、京文化の庇護者として境内を華やかにしていく。 (朝日新聞記事の引用)
ふすま絵 等 朝日新聞広告より