- 「岩倉具視幽棲旧邸」 -

☆訪問撮影-2007.12.12 天候:晴☆

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   幕末の動乱期、開国による対外問題、農業を基本とした封建政治の矛盾の中で、
幕府と朝廷が結び、種々の問題を解決しようとする公武合体裁と尊王攘夷派が激し
く対立していた。公武合体裁の岩倉具視は、皇女相宿と将車掌茂との婚姻による具
体策に応じるが、そのため討幕派からねらわれ、官職を辞し、出家し、自分の乳里
の岩倉に幽棲した。
 文久2年(1862)9月から慶応3年(1867)11月まで、5年余りの問、往家と
したのがこの旧居である。その問1863年8月18日の尊王攘実証の追放、1864年
の禁中の変、1866年1月の薩長同盟成立など、事態は変転するが、この邸には、
大久保利通、坂本龍馬、中岡慎太郎らが来訪、王政復古への密議が行われた場所で
もある。
             ★建物等 昭和7年 史跡指定、

いわくらともみ ゆうせいきゆうてい

所在地:アクセス
  京都市左京区岩倉
  叡山電車鞍馬線  岩倉駅より10分