- 「萬里小路藤房卿遺髪塚」 -

☆訪問撮影-2007.10.14 天候:晴☆

南北時代の 公家である。
   後醍醐天皇の側近として仕えて、倒幕計画に参加する。
元弘の変では 楠正成の起用を勧めた功臣である。
後に捕えられて下総国にに流された。建武の新政後に復帰して中納言になるが、
天皇の側近重用政治を諫めるも聞き入れなかったため、新政権に失望して。
 京郊外の岩倉に隠遁して出家するーその出家の際の遺髪がここに納められたと伝えられる。

       このページの TOP へ▲      



までの  こうじ    ふじふさ

10m位の近くに 芭蕉句碑

岩 倉 川

所在地:アクセス
  京都市左京区岩倉
  叡山電車鞍馬線  岩倉駅より10分