ー参考書籍ー ☆風の男 白州次郎 ☆白州次郎的 勢古浩爾 ほか
@雑誌「サライ」 白州次郎
特集の 写真 表紙
(2004:5:6)
Aコロナブックの特集
白州次郎の表紙
B文芸春秋 別冊
白州次郎の表紙
C風の男 白州次郎
青柳恵介著の表紙
この4冊の 表紙写真です
戦後6年目の1951年に 濱谷浩撮影 49歳の写真です
日本で最始に
ジーンズをはく 身長180センチ
17才〜24才まで 英国留学 ケンブリッジ大学を卒業
キングズイングリッシュを話す
GHQの ホイットニー民政局長の下手な米語に対して
「あなたも もう少し勉強すれば英語が上手になりますよ」と
語った。
吉田茂内閣時代 次郎は終戦連絡事務局次長 及貿易庁長官として 吉田の側近として ラスプーチンと いわれた。
背の低い 英語の話せない 保守党の代議士連は
白州と いう男は聞きしに勝る イヤ な奴と 嫌われて
悪口を いわれていた。
現在は「日本で一番カッコいい男」がマスコミのあたえた形容
妻は 随筆家 白州正子です。
墓は 次郎の 祖父が 三田藩の家老(白州退蔵)の関係で
九鬼藩主の菩提寺 清涼山 心月院(曹洞宗)に あります
墓石は 東北電力会長の時に 只見川ダム建設視察時に
格好のよい石を見つけ
「死んだら”俺の墓”と彫るのだ」持ち帰り
墓のデザインは正子さんが
白州次郎の 墓は 梵字 で 不動 明王 と
白州正子の 墓は 梵字 で 十一面観音 と 彫刻
左:次郎 右:正子
撮影:2006-.7-12