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▲▽ 売 太 神 社 (めたじんじゃ) ▽▼ 中世から 戦国にかけて 外敵から 集落を 守るために造られ 1444年(文安元年)の
「経覚私要抄」の記事記載あり
稗田環濠は 東西250m、南北200mにわたり
幅4〜14mの 濠が完全に残る集落として 著名である。 ▲▽ 黒 髪 山 歴 史 の 道 ▽▼ ぬばたまの 黒髪山を 朝越えて 第43代 元明天皇御陵 第44代 元正天皇御陵 第49代 光仁天皇御陵 ←クリックして下さい ▲▽ 奈 良 豆 比 古 神 社 (ならづひこじんじゃ) ▽▼ 地元では 奈良坂の明神さんと 敬愛されている 古社 ▲▽ 田 原 の 里 : 奈 良 貴 族 墳 墓 の 地 ▽▼ 奈良時代 律令制度では 都の中の墳墓の築造は 禁止されて いたので 例1 上記 記載の 光仁天皇稜 例2 太 安 万 侶 墓 光仁天皇稜より 西へ 500m、 北側の 急な茶畑の斜面に 経4,5mの エッセイスト。上方史跡散策会会員☆☆☆ 大和郡山市 〜 奈良市田原の里 太安万侶の 墓地跡 と 近隣の 十輪寺の舎利殿に 納骨安置
〜 奈良豆比古神社 〜 春日奥山ドライブウェイ(昼食) 〜 若草山頂上 〜
〜(田原の里) 〜 十 輪 寺 〜 光仁天皇稜 〜太 安 万 侶 墓 〜 (帰 着)
講 師 紹 介
裏 紫都子 (うらしずこ)先生
大和ー郡山ー稗田
▲▽ 稗 田 環 濠 集 落 ▲▽
稗田環濠集落の南側に鎮座
主祭神 稗 田 阿 礼(ひえだのあれ) 命
売太神社の西側には支濠もあり、濠の深さは 2〜3mである。
濠の入り口は 2〜4ケ所程度で 防衛と治安維持の為 其の他防御だけでなく
耕地の灌漑用水として用い、河川の洪水を防ぐ目的も あった。
山下露に 濡れにけるかも (万葉集巻7:1241)
無形文化の翁舞は 有名である。
境内に 天然記念物、樹齢千余年の 樟(クリックで樟樹の全景)
幹回り 8m 樹高 30m です。
平城京から 離れた 田原の里に 貴族、官人たちの 墓が多い。
円形に 土盛りされた部分あり 1979(昭和54年)に 人骨と銅版の墓誌が
発見された。 墓誌は国指定の重文である。 人骨(太安万侶)は 近くの
十輪寺(東寺真言宗)の舎利殿 に 納骨されている。
江戸時代は 26の末寺をもつ学問寺である。
近鉄文化サロン講師など 多方面で活躍中。、
ユーモアあふれる解説には定評がある。