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☆☆ー2006年10月11日(水) −天候 曇り 時々 雨ー☆☆
「古事記」を 生み出した人たち
- - → (出 発)8:30 〜 (大和郡山:稗田)稗田環濠集落 〜 (奈良市)元明天皇稜  〜 元正天皇稜〜 
〜 奈良豆比古神社 〜 春日奥山ドライブウェイ(昼食) 〜 若草山頂上 〜 
〜(田原の里)  〜 十 輪 寺 〜 光仁天皇稜 〜太 安 万  墓 〜 (帰 着)


  講 師 紹 介 
    裏 紫都子  (うらしずこ)先生
     

            大和ー郡山ー稗田

  ▲▽  稗 田 環 濠 集 落 ▲▽ 

▲▽   売  太 神  社  (めたじんじゃ)   ▽▼
       
       
          
                   稗田環濠集落の南側に鎮座
                  主祭神   稗 田 阿 礼(ひえだのあれ) 命

 中世から 戦国にかけて 外敵から 集落を 守るために造られ 1444年(文安元年)の 「経覚私要抄」の記事記載あり  稗田環濠は 東西250m、南北200mにわたり  幅4〜14mの 濠が完全に残る集落として 著名である。
 売太神社の西側には支濠もあり、濠の深さは 2〜3mである。
  濠の入り口は 2〜4ケ所程度で 防衛と治安維持の為  其の他防御だけでなく  耕地の灌漑用水として用い、河川の洪水を防ぐ目的も あった。

▲▽   黒 髪 山 歴 史 の 道   ▽▼

ぬばたまの  黒髪山を  朝越えて
           山下露に  濡れにけるかも   
      (万葉集巻7:1241)   

▲▽   奈 良 豆 比 古 神 社 (ならづひこじんじゃ)   ▽▼

 地元では 奈良坂の明神さんと 敬愛されている 古社

無形文化の翁舞は 有名である。

 境内に 天然記念物、樹齢千余年の クリックで樟樹の全景
        幹回り 8m   樹高 30m です。

▲▽  田 原 の 里 : 奈 良 貴 族 墳 墓 の 地 ▽▼

  奈良時代  律令制度では 都の中の墳墓の築造は 禁止されて いたので
平城京から 離れた 田原の里に 貴族、官人たちの 墓が多い。

例1   上記 記載の 光仁天皇稜

例2   太 安 万  墓

  光仁天皇稜より  西へ 500m、 北側の 急な茶畑の斜面に 経4,5mの
円形に 土盛りされた部分あり   1979(昭和54年)に 人骨と銅版の墓誌が
発見された。    墓誌は国指定の重文である。  人骨(太安万侶)は 近くの
十輪寺(東寺真言宗)の舎利殿 に 納骨されている。
  江戸時代は 26の末寺をもつ学問寺である。

  エッセイスト。上方史跡散策会会員☆☆☆
近鉄文化サロン講師など 多方面で活躍中。、
ユーモアあふれる解説には定評がある。

大和郡山市 〜 奈良市田原の里

太安万侶の 墓地跡 と 近隣の 十輪寺の舎利殿に 納骨安置