マキノ ショウゾウ
- 「大映通り商店街と牧野省三顕彰碑」 -
所在地:アクセス
京都市右京区太秦大映通り商店街
京福電鉄嵐山線太秦広隆寺駅より7分
名阪自動車道 京都南より 15分
☆訪問撮影-2007.10.14 天候:晴☆
【大映通り商店街】
嵐山電車軌道として四条大宮一嵐山間、全長7.2kmで営業を開始した通称「嵐電」が、
京福電車嵐山線に引き継がれたのは昭和17年で、その帷子ノ辻駅から太秦駅にまたがる
三条通りの一区間、延長約7oomの商店街が大映通り商店街です。
昭和30年代には商店街筋南側に隣接する日活太秦撮影所の名前から、「日活通り」とも呼ばれていましたが、日活が昭和17年(1942)に大映京都撮影所に引き継がれて「大映通り」の名が生まれました。
↑ 街路灯も映画の道具風
【牧野省三顕彰碑まきのしょうぞうけんしょうひ】
大映通り商店街の一角にある三吉稲荷大社は、昭和3年(1928)年、
日活撮影所の建設に伴って付近の2つの祠を統合して創建されました。
多くの映両人が訪れたことでも知られる小さな境内には、
「日本映画の父」と言われた牧野省三の碑が建てられています。
← 三吉稲荷大社
*牧野省三 マキノ ショウゾウ
く明治11年(1878)〜昭和4年(1929)>=京都府北桑田郡山国村(現、京都市右京区)に
生まれました。父は「維新勤皇山国隊」の隊長・藤野斉、母は義太夫師の竹本弥奈吉(牧野やな)。
非嫡出子のために母の手で育てられ、幼少時から母親の経営する寄席で芝居ごっこに興じ、母親が
「千本座」という小劇場(後の千本日活)の経営に移って省三は義太夫や歌舞伎に親しみました。
後に、活動写真の興行で「千本座」に出入りしていた横田永之助から映画制作を依頼され、
中村福之助・嵐璃徳など座付き役者を中心に「本能寺合戦」「明烏」などをつくりました。
明治42年(1909)、岡山の旅役者で当時千本座で活躍していた尾上松之助を講談の英雄豪傑を
演ずるスターに仕上げ、さらに阪東妻三郎、市川右太衛門、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、嵐長三郎、
嵐寛寿郎、月形竜之介、林長二郎、長谷川一夫などをスターに育てあげました。
、監督として長男マキノ雅弘(正博、雅裕)、 衣笠貞之助などを育て、
「時代劇映画の父」「日本映画の父」として尊敬されています。
本日のHP管理人の昼は
太秦映画弁当です