上方散策  木  崎  神  社

- 「木  崎  神  社」 -

コ ノ シ マ

☆訪問撮影-2007.10.14 天候:晴☆

所在地:アクセス
 住所:京都市右京区太秦森ヶ東町50

・拝観:境内自由
・アクセス:京福電鉄嵐山線の「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅から北へ3分ほど

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{木崎(このしま)神社}
 正しくは木嶋座天照御魂神社といい、遠望すると、僻蒼と樹が茂る島のようだったので
木崎神社の社名になったとされます。俗に「蚕(かいこ)の社」で知られます、境内に
摂社の蚕養(こがい)神社があり、一般にこちらの方が信仰されているからだといいます。
 「続日本紀」によると、文武天皇大宝元年(701)4月に「山背国月読神、樺井神、木島神等
の稲を今より以後は中臣氏に給え」と勅されたと記されており、創建はそれ以前の上古に
遡るようです。延喜式には明神大社に列せられていますが、かつては葛野郡内有数の大社で、
特に祈雨の神として崇敬されたといい、社前向かって右側の他の造作は、その祭壇に
使用されたためと思われています。

 ★蚕養(こがい)神社
  本殿の右側にある摂社で、蚕の神を祀っています。この辺りを本拠にした秦氏は、丹波
と山城国境辺りが桑田郡であったことからも分かるように、稲作とともに養蚕機織によっ
て繁栄しましたので、製糸業の護り神として祀られたものと思われます。繭を産むところ
から安産の神、糸を紡ぐ女性の肌は瑞々しく、絹に含まれる成分が皮膚に良いという信仰
が生まれ皮膚病の神とされ、一般に「蚕の社」と崇められるようになったようです。
  なお、福島県会津若松市蚕養町に、保食大神、稚産婁大神、天照大神を祀って延喜式神
名帳に菖養國神社(コガイノクニツカミノカミのヤシロ)として列せられ、桜町天皇寛保3年(1743)
には正一位の位階を賜ったという蚕養国神社があります。同社は全国養蚕守護の神社の
総本宮とされており、平安時代に入って秦氏と養蚕業との深い結びつきから、
陸奥国から本嶋神社境内へ分社された可能性もあると思われます。


 江戸時代の
縮緬商仲間が
奉納した 石碑

   ↑  三つ鳥居  ↑ 
  境内奥にある、明神鳥居を三つ組み合わせた三方正面の「三つ鳥居」は、三つ組鳥居、三面鳥居、
三佳鳥居ともいい、京都三珍鳥居の一つです。元礼の森と称する森叢に囲まれた泉の中央の石組み上に
この鳥居はあり、真ん中に御幣が立てられていますが、その下から清泉が湧き出て、
小川となって手前の池に注いでいます。太秦地方は、この清泉によって開拓されていったものと思われ、
当地の居住者たちの神聖な営みをうかがい知る貴重な建造物で、
一面は双ケ丘、もう一面は松尾大社、そして1面は伏見稲荷大社に対しており、
秦氏が支配していたところというのは偶然ではなさそうです。