堺市:萩原天神 | ||||
- 「怒 り 天 神」 - |
菅原 道眞は 大宰府へ権帥として左遷 され 朝廷を恨み没した(903年) その後 道真は 怨霊 雷神となり 清涼殿に落雷(930年)、 大納言藤原清貫ら死傷者が出た。 これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は 京都の北野に天満宮を建立して 道真の怨霊は雷神の祟りを鎮めた 平安時代の 道真は 怒り天神が 本来の姿である。 堺市東区の萩原天神の絵馬殿に所蔵 当社社務所に 申し出て拝観できます 右の掛軸を 拡大したものが → ← 左の 怒り天神です。 |
後世 柔和な天神像が普及した。 戦前期では 遣唐使廃止の進言功績等で 和魂漢才:皇室の忠臣としての面が強調され、 紙幣(五円札)に肖像が採用された |
← 北野神社と道真公 写真クリックで天神像 |
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当社の 元本殿が 平成3年に完成した新本殿の隣に 木造の覆屋を設け 文化財として保存されています。 元本殿は 学術調査により 優雅な桃山様式を 忠実に残した寛永(約350年前)建造物で 檜皮葺流造で 極彩色を 施し御扉に松を配し 側面に孔雀などが描かれ 正面に蛙股に 梅と 天満宮を象徴する牛が 彫刻されています。 |
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菅原 道眞 、845年8月1日 - 903年3月26日 宇多天皇の時に右大臣になるが、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ権帥として左遷され 朝廷を恨み没した。 その後 道真は 怨霊 雷神となり 道真の祟りと恐れた朝廷は、 993年道真の罪を赦すと共に贈位を行った。 5月20日 追贈正一位左大臣。 10月20日 追贈太政大臣。 子供達も流罪を解かれ、京に呼び返された。 朝廷を恨み 怨霊は雷神の祟りとなり 怒り天神 として 平安貴族や庶民に 祟拝された。 明治期以降 紙幣になり 温和な天神さんが 普及した 今や学問の神様だが当時の普通の貴族であり、妾もいれば、遊女遊びもしている。 とりわけ、在原業平とは親交が深く、当時遊女らで賑わった京都大山崎を、たびたび訪れていると記録に残っている。 |
所在地:アクセス |
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☆訪問取材撮影-2009.03.12 天候:晴☆ |
○参考文献○ |
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