日露友好
      ロシア俘虜兵士の墓地 「友好記念之像記念碑」
日露戦争に於いて77,120人の
ロシア帝国軍人が俘虜(当時の用語)となり 松山を初め 全国29箇所に
収容所を設けていました


 浜寺俘虜収容所は 高師浜の海岸の
畑地を四区に分けて木造の宿舎と高い塀
で囲んだ、

この収容所には
ロシア帝国軍人28,000人が収容され 
うち捕虜の89人が死亡 
露西亜軍人墓地として保存されている
「日露友好之像」と「記念碑」が2002年5月11日建立。

記念碑は、内閣総理大臣 小泉純一郎の揮毫による
碑名文と

  V.Vプーチンロシア大統領の
「ロシアの勇猛果敢なる子が、永遠に人々の記憶に留まらんことを ! 。」
   の寄文が彫られています。

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  日露戦争 )、明治38年( 1904) -、明治38年( 1905年は、大日本帝国とロシア帝国との戦争
当時の 大日本帝国陸軍第四師団司令部により 浜寺に露西亜帝国兵俘虜収容所が設置さた。
  この俘虜たちも 明治39年(1906)2月までには全員が 母国帝政ロシア帝国に送還されました。 

  ソビエト社会主義共和国連邦は 1922年に成立で 日露戦争時は 露西亜帝国である。
  
  大日本帝国は 明治大帝 の時代です
  露西亜帝国は ニコライ2世 の時代です
                  ☆訪問取材撮影-2009.04.09 天候: さくら満開の 快晴☆  

所在地:アクセス
 (日露友好記念碑所在地)  
               大阪府高石市羽衣公園丁(浜寺公園内)
               南海電鉄本線  浜寺公園駅より 15分

 (俘虜収容所の跡地の案内板所在地) 
               大阪府高石市高師の浜
               南海電鉄高師の浜線  高師の浜駅 駅前

 (ロシア俘虜兵墓地の所在地) 
               大阪府泉大津市春日
               南海電鉄高師の浜線 高師の浜より 南へ


  

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