仁徳御陵 鳥居 新しく完成

20年に1度だそうです.   材料は吉野の山の木だそうです
高さ6M70 長さ7M  太さ 540 〜 380 
 平成19年2月10日 工事開始
 平成19年4月10日 午前10時より 厳粛に竣工式を挙行 

  鳥居 新築作業中
  写真撮影 平成19年2月〜4月--------
                     ■御陵の数値概要
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  仁徳天皇、神功皇后摂政57年(257年) - 仁徳天皇87年1月16日399年2月7日))は、
日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年(313年1月3日 - 同87年(399年1月16日)。
古事記
の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦393年、仁徳天皇の崩御が西暦427年となり、
その間が在位期間となる。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。 

 人家のから炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために
宮殿屋根さえ葺き替えなかったという記紀の逸話に見られるように、仁徳天皇の治世は
仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。

 ただ一方で、記紀には好色として描かれており、皇后の嫉妬に苛まれる人間臭い一面も伝わっていることは興味深い。

仁徳天皇 逸話
  皇后の嫉妬  黒日売
その太后石之日売命、甚多く嫉妬みたまひき、故、天皇の使はせる妾は、宮の中に得臨かず、こと事立てば、足もあがかに嫉妬みたまひき。ここに天皇、吉備の海部直の女、名は黒日売、その容貌端正しと聞こしめして喚上げて使いたまひき。
然るにその大后の嫉み畏しこみて、本つ国に逃げ下りき。天皇、高臺に坐して、その黒日売の船出でて海に浮かべるを望み?て歌いたまひしく、
@ 沖方には  小船連らく くろざやの 
    まさづ子吾妹 国へ下らす   
と歌いたまいき。故、大后この御歌を聞きて、大く念念りまして、人を大浦に遣わして、追い下ろして、歩より負い去りたまいき。  ここに天皇、その黒日売を恋ひたまいて。太后を欺きて曰りたまひしく、 「淡路を見んと欲ふ」とのりたまいて、幸行でましし時、淡路島に坐して、遙に望みて 歌ひたまひしく、
 A おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 
我が国みれば淡島・自凝島檳梛の 島も
  見ゆ 放つ島 見ゆ  
とうたいたまひき すなはち その島より伝いて、吉備国に幸行でしましき。 ここに黒日売、 その国の山方の大坐しまさしめて、 大御飯を献ひき。ここに大御羹煮むとして、其処の蔬菜を摘む時に、天皇その乙女の蔬菜を詰める處に到りまして歌ひたまいしく。
B山縣に 蒔ける蔬菜も 吉備人と                  
 共にし 摘めば 楽しくあるか  
うたいたまいき天皇上に幸でます時、
黒日売御歌を献りて曰ひしく、
C倭方に西風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめやといひき。
D倭方に 行くは誰が夫 隠水の下よ延べつつ往くは誰が夫と うたひき。

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