関西:文学歴史講座

- 「矢 掛 宿」 -

☆訪問撮影-2009.013.14 天候:晴☆

矢掛宿(やかけじゆく)
江戸時代の街道整備政策は「五機七道」から、江戸を基点とする「五街道」にその中心を移します。、
  山陽道などの街道は<脇街道>に格下げされ。
山陰道は大坂からは西へ51の宿駅が置かれ、岡山を過ぎると吉備津彦神社の付近に第16番目の板倉宿、第17番目が川辺宿で、矢掛宿は第18番目
の宿場町として栄えました。 宿場町は、室町時代に小田川の流れに沿って自然堤上に形成され、ほぼ一直線の約800mの町並みが東西に伸びる。   参勤交代の大名が宿泊した本陣と脇本陣の建物(いずれも国重文は当地のみ)が、両方とも当時のまま残されているのは全国的にもあまり類がなく、町並みにはそれら大きな屋敷の平入りと、小じんまりした入母屋妻入りの建物が混在しています。また、小田川に沿った建物はとくに敷地の奥行きが深く、川に面した側には水運の荷卸しなども行える雁木がありました。
所在地:アクセス
  岡山県小田郡矢掛町矢掛
  井原鉄道 矢掛駅から徒歩15分
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○参考文献○
矢掛宿 上方散策