厭  離  庵

直線上に配置

所在地:京都市右京区嵯峨ニ尊院門前善光寺山町2

    定家の日記『明月記』には、定家は山荘 「時雨亭」に樹木を植え、季節の花々を咲かせ、時には果実を宮中や御所、
 あるいは友人に贈ったりするなど、風流気ままな生活を送った様子が記されています。

【厭 離 庵】  
  小倉山の麓にある厭離庵は、「小倉百人一首」の
 藤原定家が百人一首を編纂した山荘 「時雨亭」の
 旧跡と 伝えられます。


  現在は臨済宗天龍寺派の寺院です。

茶室前の 月見台

茶室の奥に見える時雨亭
  

定家筆洗いの「柳の井」
700年今も清く湧出ている

定 家 塚(厭離庵内)
境外に定家為家のお墓

東側より 月見台

厭離庵の塀(石垣)

場所は、嵯峨釈迦堂(清涼寺)西門から愛宕道を徒歩4分ほど行った所、愛宕道に面して小堂が
あるが藤原定家の念持仏を祀る慈眼堂である。ここを過ぎて民家と民家の間に「厭離庵」の石標が
建つ。狭い小路の両側は竹林になっていてその奥に表門が見える

えん           り            あん

(旧「時雨亭」)

小倉山しくれの頃の  朝な 夕な
        昨日は うすき  四方の紅葉
   

  

← パンフレット表紙より