☆☆ー平成19年 7月11日(水) −天候 曇 時々 雨ー☆☆
平城京「頭 塔」と平城京(なら)の飛鳥
昔から、藤原広岡の亡霊によって筑前観世音寺で首を取られた玄肪の頭が奈良まで飛来し、それを埋めた幕という伝説があることから「頭塔」といわれてきた方形7段の石造物。
く観世音寺のすぐ側に、玄肪墓と伝わる墓標がある>
頭塔は、大正11年(1922)に国史跡に指定されましたが、当時はこんもりした森でした。昭和61年(1986)から12年間にわたって発掘調査され、それと平行して復元整備が行われて2000年に完成し、現況の姿を現しました。
奇数段の4面には各11基ずつ、総数44基の石仏が配置されていたと考えられていますが、現在確認されているのはそのうちの42基(うち一基は人和郡山代の石垣に転用)だそうです。
いずれにしても珍しい石造物ですが、神護景雲元年(767)に良弁僧正の命によって、実忠和尚が東大寺の朱雀の端に造立したという記録がある上塔(どとう)で、五重塔などと同じように仏舎利を納める仏塔というのが本当のところのようです。
現在は、南西部が整備前の姿で残され、周囲には見学デッキを巡らせて説明版も設置されています。
所在地 奈良市高畑町921番地 近鉄奈良駅より循環バス「破石町」下車2分
◆◆平城(なら)の飛鳥◆◆
【天神社でんじんしや】
境内地を含むこの丘陵一帯は平城京が目本の首都であった8世紀、平城(なら)の飛鳥と呼れた聖地でした。社伝によると1078年の創建て、少彦名命を祀り「手間天神」と呼ばれていました。
その後、平安時代の白河天皇の頃、菅原道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭され、
この神域にも相殿が建てられました。また後に元興寺禅定院や興福寺大乗院の鎮守神社として栄えました。
天神社は 丘陵地にあります
写真は 吉本氏撮影です
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