大阪城の持ち主は誰か

<大阪城>持ち主は誰? 天守閣未登記
土地は「陸軍省」
(毎日新聞)より転載
 観光客でにぎわう“大阪の顔”の持ち主はいったい誰――。大阪城(大阪市中央区)について、
法務局で登記簿謄本を申請したところ、天守閣は建物として登記されておらず、土地の所有者がなんと
「陸軍省」 であることが分かった。1931年に市民の手で再建された大阪城。持ち主がなぜ陸軍省なのか、
 所在地は、中央区大阪城1番1などで、法務局の図面には、天守閣の形が描かれている。土地登記簿を見ると、
内堀の中は約57万平方メートルの広さで、所有権に関しては、「明治41(1908)年4月8日」に受け付けた
ことが明記され、所有者は 「陸軍省」だった。天守閣の建物登記簿を探したが見つからない。
 鉄筋コンクリート8階建ての天守閣内部は歴史博物館になっており、大阪市の外郭団体が運営している。
市に問い合わせると、建物の所有者は市で、土地は国から借用と。なぜ天守閣は建物として未登記なのか。
 市は「誰かに売買される恐れがないので問題ない」との見解だ。学校などでも登記していないケースがあるという。
これについて法務省は「不動産登記法は、民間の取引の安全を図るのが目的。市の建物は市自身が管理し、固定資産税も非課税。登記しなくても違法ではない」と説明する。
土地所有者として、 「陸軍省」が今も残る理由は定かではない。
一帯には戦時中、旧日本陸軍の兵器工場で東洋一の規模を誇った大阪砲兵工廠(こうしょう)があり、
天守閣近くには 陸軍第4師団の司令部も存在した。
 1960年の不動産登記法改正で土地・建物の登記事務を一元化した際、
「国や地方自治体の土地・建物には当分の間適用しない」との付則がつき、
旧来の内容を書き換えるチャンスを逃したらしい。04年の法改正で「当分の間」との表現がなくなり、
そのまま現在に至ったとみられる。
  大阪城は、1583年に羽柴(豊臣)秀吉が築城に着手。
1665年に落雷による火災で天守閣は焼失したが、1931年に市民の寄付金で再建された。

[毎日新聞2007年8月18日]より転載