関 西 文 学 散 歩 | |
関西:文学歴史講座ー2010年前期第4講 |
|
☆訪問取材撮影-2010.07.14(水) 天候:雨時々曇☆ |
|
- 「国栖の里と秋津嶋伝説」 - |
|
丹 生 川 上 神 社 |
|
『延喜式神名』の「吉野郡十座 丹生川上神社 明神大」を比定。「雨師神」とも唱えられた。寛平9年(879)には従二位を与えられている。 奈良時代には析雨、止雨を祈る最大神。平安遷都後は、京都の北山貴船(病布称)神社ともども信仰を集め、『丹青二社」と称えられた。 ※祈雨には黒馬、止雨には白馬が献じられていたが、室町時代(1496年頃)には、戦乱と朝廷の経済的疲弊から、献納中断、神社所在地も 不明になった。中世以降は衰微し、社地も不明とその後、神社の所在について色々に説が出たが、大正11年、内務省告示で、 川上村の丹生川上神社が上社(中心一祭神高オカミの神)、東吉野小(オムラ)のが中社(岡象−ミズハノメ)女神、下市町長谷のが 下社(闇−クラオカミ)神となった。これら三社を合して一社として官幣大社となった。45年(昭和20)敗戦以降は各社それぞれ独立の 宗教法人となる。三神はいずれも水源を守り、祈雨、止雨を司る神である。上社は大滝ダムのため水没平成10年3月にご遷座しました |
所在地:アクセス |
|
△この頁のTopへ△ ▲上方散策のHPのTopへ戻る |
ランキング集計結果